人気ブログランキング | 話題のタグを見る

戦中戦後資料

福岡市の空襲

昭和20(1945)年6月19日から翌6月20日まで、マリアナ諸島のグアム・テニアン・サイパンの航空基地から発進したアメリカ空軍により行われた空襲。
市内の東部ならびに西部の両地区に焼夷弾が投下され、発生した火災を目標に、後続機がその中間に投弾した。少数機編成で次々に飛来するB29、約330機で油脂焼夷弾で、市の中心部を始め、市南西部方面にまで降り注ぎ、約2時間にわたる空襲で、伝統ある福岡の街は一望の焦土と化した。

我が家も此の空襲で全焼の被害に遭いました、此の時支給されたボロボロになった「罹災證明書」
戦中戦後資料_c0335769_9594699.jpg

         此れが無いと食料、生活物資の配給が受けられなかった。
戦中戦後資料_c0335769_1074561.jpg

「罹災證明書」の裏側、スルメ10枚、缶詰、チリ紙、醤油、ヤサイ250匁、魚250匁等々配給係の人が
書いたのでしょう?用紙もお粗末なワラ半紙。

処が此れは立派な和紙に福岡市役所と印刷した罫紙、市役所この様な上等の事務用品が有ったのか?と
驚きでした。
戦中戦後資料_c0335769_10143354.jpg

次に私は、罹災者にお見舞い金が支給されたと思いました、日付は6月25日。空襲から5日目、市役所も少ない人員で早いものだと感心していました。

しかし福岡市長 畑山某の捺印された、領収書 ??翌日迄考えてやっと納得!私の父が「但し書きの通り
福岡市民の戦災罹災者に対してお見舞い金を贈った???のだろうと結論付けました。

駄目ですねぇ~いやしい人間は!我が家は被害を受けたのだから当然「お見舞い金」が貰えたと・・・・

続きをご覧の方はこちら

# by yotarouu3 | 2014-10-18 10:06 | 生活一般  

入院メモのノートから

此れも入院メモのノートから親の脛かじって居た時です、お小遣いに不自由していました。
だから、こんなのを書いたのでしょう!

同じ年代の東京6大学の一つM大の学生だったのと、二人つるんで悪い事ばかりやってました・・・

              モナリザみたいなのどかな顔で
                        財布の紐は締めっきり

              俺が先だと財布を拾い
                        中をよく見りゃ五円玉

              財布カラだよ車に乗れず
                        ぶらりブラリの千鳥足

              なまじ恋すりゃ蟇口までが
                        グッと痩せくる月の末

              鼻唄まじりで眺めた勘定
                        酔いはまわらず目が廻る

入院メモのノートから_c0335769_181339.jpg

# by yotarouu3 | 2014-10-15 17:55 | 都々逸